前回の続きとなりますが、正直今回でメインの話まで書こうと思いました。
が、さすがにちょっと長すぎるように感じましたので次回にします!
前回の話を簡単におさらいすると
①信じる心ってすごい
②自分ってすごい
この二点だけです(ドドンッ!!)
いったいなんのこっちゃ?ってなる場合は前回の記事を・・・まあ要するに
①信じてみるだけで悩んでいた事が一瞬にして無くなる事がある
②先祖代々の命を継承して今ここで生きてるあなたはすごい
こういう事です。
前回この話が二本立てだったので、なんとなーく言いたいことは分かるけど、つまりどういう事?みたいな話になってしまったと思います。
今回の話でだいぶ繋がります。
さて、ここから今回の話の本題へ。
前回の最後に、自分を信じて生きよう、という話をしました。
まあでも「急にそんな事言われても」となる人が大半だと思います。
また、前回の宗教の話では、信じることによって救われる、と言う話をしました。
よく話に出るとすれば、戦国時代では「細川ガラシャ」という、途中からキリシタンになった方がおります。
明智光秀の三女で細川忠興の妻です。知っている方も多いと思いますが、なかなかの厳しい人生の中を歩いています。
明智光秀の謀反で幽閉され、窮屈で鬱蒼とした生活の中、キリスト教を知り洗礼を受けキリシタンに。その後快活で積極的な性格になった、と言う話です。
(その後の人選も相当過酷ではありましたが。。。)
これは一例ですが、なにもキリスト教だけではないですし、こんな過酷な人生を送っている人だけではありません。
例えば群馬県にある五徳山水澤寺。1300年以上前の推古天皇・持統天皇の時代に開基されたお寺。
戦国時代では多くの戦国武将が訪れ合戦の勝敗を占う祈願所として参拝。
江戸時代では庶民も信仰の対象となり、苦しい生活の中「七難即滅七福即生」を願い参拝していた。そんな話があります。
どんな時代でも、どんな人でも、悩みは尽きないものです。
そして、その悩みの多くは自身の力の及ばない所にあります。
そんな時、人はどうするか。
祈るしかないんです。
自分の力では解消出来ないその悩みは、自分の力の遠く及ばない存在にお願いをし、出来るだけ助けて欲しいと祈る。
他に解決策が無いので。でもこれはごく自然な事。オカルティックな話を信じていなくとも「誰か助けてくれ!」と祈りたくなることも少なくない。
じゃあ、宗教に入っていて祈る神様がいる人ならいいけれど、祈るものがない人(無宗教とか)はどうすればいい?
と思うのも自然です。
これはあくまで、一つの模範解答のようなものですが
自分のご先祖様に祈るのが一番なのかなと思います。
理由は、前回の記事に書いた通り
「今の自分は、先祖代々から受け継がれて産まれて来ているから」です。
目に見えない物は信じない人もいると思います。それは自分もよくわかります。
もちろん背中にご先祖様がいらっしゃって守ってくれていて・・・という話ではないです。
でも、自分が存在するという事は、絶対にご先祖様は存在していたはず。
そして、自身の体もまた先祖代々から混ざり合い受け継ぎ、自分として存在している。
この体の中には「思考」「意識」なんかも含まれている。
そんな自分のご先祖様に祈るという事は、ある意味自分に祈るとも取れる。
ご先祖様を信じる≒自分を信じる
これが、前回の記事の結論となります。
そして今回の記事のメインです。
オカルティックな話を信じていなくとも、自分を信じることは出来る。
なら、この結論を逆から見て「ご先祖様を信じる」事も出来る。
もし祈りたくなった時、自分のご先祖様に対して祈ってもいいんじゃないでしょうか。
そうして、このご先祖様に祈る・信じることは自分にも繋がり、自分の「思考」などの内面にも作用し
自分自身から解決に向かおうと気づいたら動く。チャンスも増える。
ある一種の、引き寄せの法則です。
あ、引き寄せの法則の説明はまた別の機会に書きます。
今回は軽く説明。
引き寄せの法則は「自分の脳を騙して自分自身望む未来に動こうとする」という自身の脳の動きを上手く使って目標達成の為の言動をする事。
オカルティックな話に見えて、結構ちゃんと自身の脳に働きかけるから馬鹿に出来ない!
さて、今回はここまで。
次回、この話を含めたメインの「自分教を作ろう」になります。
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